柿食えば…①

朝晩の冷え込みで秋が来たのか冬が来たのか分からない微妙な季節になってきました。皆様も体調にはくれぐれもお気を付けください。

あまり本業と関係の無い事を書いているとアドバイザーのAさんに怒られてしまいそうですが、何も書かないよりはと思い、ブログを書くに至っています。

さてこの季節になると店頭でよく見かけるのが「柿」です。

それをみるとあまりにも有名な俳句を思い出します。

柿食えば

  鐘が鳴る也

           

      法隆寺

この俳句を書いたのは正岡子規という人物で恐らく国語の授業で皆様も習ったのではないでしょうか?

「正岡子規は女性では無く男性ですよ~」

と先生が言って当時小学生の私は「へ~」くらいにしか思いませんでした。

この俳句のすさまじさは文字を見るだけで、

「秋の夕暮れに奈良の真っ赤な空をみながら柿を食べていると法隆寺の鐘の音が聞こえてきた」

という情景が日本人であるならば思い浮かぶのでは無いでしょうか。

そうまさに下の写真が皆様の脳裏に浮かび上がるはずです。

正岡子規の俳句はこのように文字を見ただけでその情景が頭の中に瞬時に思い浮かぶという特徴があります。

さてあまり文学的な事に触れるとボロが出てしまいますので、俳句の解読はこの辺にしておき、今日は正岡子規の別の作品を紹介したいと思います。

正岡子規は34歳という若さでこの世を去っています。

当時は不治の病であった結核、それに伴う脊椎カリエス…難病のオンパレードで、

脊椎カリエスによる激しい痛みが昼夜を問わず彼の体を蝕み、晩年の3年間はほぼ寝たきりであったと言われています。

子規は元々活発な少年で、現在の愛媛県伊予松山に生まれました。

当時流行りであった自由民権運動に参加したり、

「東京に出て太政大臣になる!」と言って突然地元の学校を辞めて東京に出たり、

せっかく東京で入った学校も

「俳句を始める!」と言って辞めてしまったり、

新聞社で働いてる時も、

「日清戦争に従軍したい」と言って子規の体調を案ずる上司を困らせ、

従軍記者として連れて行ってもらったり…(結局この従軍の帰りの船で子規は喀血してしまいます)

同郷の親友であった夏目漱石は子規を

「何にでも大将にならければ気が済まぬ男」

と愛情たっぷりに評価しています。

そんな子規が病になり、自分の人生を悲観するのかと思えば、

子規は天性の楽天家。

自分の不幸を不幸とも思わない人で、

「私は運がいい、私を批判しようとする人は私が重病人である事を知っているから、

手を緩めてくれる、病気で得する事があるとは思わなかった」

というような趣旨の事を語ったと言われています。

次回に続く…